元々そういうもの
人も国も時代も、すべては曖昧で移ろいやすいもの。
正義も常識も、人や国や時代によって簡単に変わってしまいます。
そんな世界で、いったい誰を、何を頼りに生きていけばいいのか?
寄らば大樹の陰なんてことわざもありますけど……。
雷が鳴ったら大きな木の下に避難しなさいって教えられた常識も、
事実はまったくの真逆で……。
最近は高い木の下の方が危険だから、近寄ってはダメと言われるようになりました。
もう何も信じられない……。
なら、もう信じるのはやめよう。
疑心暗鬼とかではなく、元々そういうものとして。
小さな子供の「絶対大丈夫」を親御さんが話半分で聞くように。
だって、子供ってそういうものでしょう?
だって、世の中ってそういうものでしょう?
そうやって、そういうものだから仕方がないとうまく付き合えればそれが一番。
でも、残念ながらわたしにはそれができなくて……。
で、決めました。
もう世の中と関わるのはやめようと。
世界と関わらないと決めた選択
わたしは一時、ニュースやテレビ番組といったメディアを意識的に避けていました。
本当に大切な情報は、わたしの数少ない友人や同僚が教えてくれます。
どんな事件が起きたとか、何が今流行っているとか……。
そんな直接自分と関係のない情報は意識して避ける。
おかげで、もう何歳だから、とか……。
こんなことをしているなんて恥ずかしい、とか……。
そういった社会の評価があまり気にならなくなりました。
大切かどうかは自分で決める。
必要かどうかは自分で判断する。
それから、仕事も自分一人で完結できるものを意識して選ぶようにしました。
みんなで協力して一つのプロジェクトを成功させる、みたいなのは無理。
自分がするべき役割がはっきりしていて、その成否も自己責任。
自由業に近いような、そういう仕事を選ぶようにしました。
安定よりも自由な生き方を……。
こう言うとかっこいい感じですけど、立場的にはフリーターと紙一重。
低所得でなんの保証もない。
それでも、今の自分自身を客観的に見てみると、
それほど生活に不自由はしていないと思うんですよね。
旅が生き方の幅を広げてくれた?
別に今日の食べ物に困っているわけでも、眠るところがないわけでもない。
途上国で見たその国のふつうの人たちの暮らしは、日本基準では相当にひどいものでした。
地元の人と同じものを食べてお腹を壊したり、
予算をケチって泊まった安宿はとても人が眠れるような環境ではなかったり……。
凍死の心配もなく、飢え死にの心配もなく、
不当に身柄を拘束されたり、道で突然襲われるなんて心配もありません。
だったら、無理して周囲に合わせて、コロコロと変わる環境に振り回せれるよりも、
多少不便でもマイペースに生きられる今の方がいいと思うのです。
船から降りてみるという生き方
広い大河をたくさんの船が下って行きます。
大きな船もあれば、小さな小舟もある。
小舟は不安定ですが、浅瀬や岩場も軽快に避けて進みます。
大きな船は多少の障害はものともせず、河の真ん中をゆっくりと進んで行きます。
それでも、長い河には急流もあれば目に見えない暗礁もあります。
運悪く渦に巻き込まれたり岩場に乗り上げたりして、転覆してしまう船も少なくありません。
河の流れに合わせて船を漕ぐことはできる。
でも、決して河の流れを止めることはできません。
所詮は河の気分次第。
なら、船に乗らなきゃいい。
河の流れに乗ろうとするから振り回される。
河の横を自分の足で歩けばいいんだと。
自分の足で歩くのは大変で、荷物もたいして持てません。
それでも、気に入った景色があればその場に立ち止まってのんびり眺めることもできますし、
望まぬ方向に勝手に流されることもありません。
少なくとも、次の一歩を自分で決めることはできる。
自分で歩くなんて大変だねと、船の上から心配されることもありますが、
こういう旅も言われるほどたいへんではないと思うのです。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
はじめまして(虚実の間)は、筆者の基本的なものの考え方とこのブログの傾向を表しています。
もし、途中からお読みいただいたのなら、“この世界って本当にあるの?”からお読みいただくと、より深くこのブログの傾向をご理解いただけるかと思います。
と、まぁ、日本中の人たちがわたしのような生き方を選択してしまうようになると困るなぁ、とは思うのですが、
わたしの書き殴りの雑文が、何かのきっかけになれればうれしいと思います。
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