「あの先生の授業はわかりやすい」
「あの先生は説明が上手い」
こんな生徒さんや親御さんの声を聞きますが、
“わかりやすい授業”って、本当に良い授業なのでしょうか?
そもそも、“良い授業”ってなんなのでしょう?
そんなの、内容をしっかり理解できて、点数が取れるようになる授業に決まってます。
では、本当に“わかりやすい授業”は、内容をしっかり理解させてくれるのでしょうか?
立板に水でテンポよく進行する授業は、本当に学力向上の役に立つのか?
とりあえず、見てみましょう。
……
すごく授業がわかりやすいと評判の先生。
そんな話を聞いて、太郎くんは某先生の体験授業を受けてみることにしました。
「この問題は難しそうに見えるが、この公式を使えば簡単だぞ!
太郎くんもこの公式は習ってるよな?」
「うん」
「よし! で、この公式を当てはめると……」
某先生は黒板に計算式をスラスラと並べていって……。
「この式を計算すると、答えはこうなる」
黒板に求めるXの値を2つ書きます。
「おっ? 困ったな。答えがプラスとマイナスで2つ出てきたぞ。
と、ここで問題!
太郎くん、長さにマイナスはあると思うか?」
「ない」
「だな。だから、このマイナスの方は不適だ。
よって、答えはこれ!
な? 簡単だろ?」
「うん」
こんな感じの体験授業を受けた太郎くん。
この先生の授業はわかりやすいと、すっかりやる気になってしまいました。
……
さて、この授業。
本当にいい授業でしょうか?
つまり、本当に太郎くんの学力を上げてくれる授業なのでしょうか?
実はこの授業では、生徒にわかりやすいと錯覚させてしまう話術が使われています。
それは、生徒にわからない質問をしないこと。
「公式は習ってるよな?」
「覚えているか?」とは聞きません。
あくまで、学校の授業で習ったことがあるかどうかの質問です。
「長さにマイナスはあると思うか?」
そんなの、小学生だって多分答えられます。
「簡単だろ?」
それは簡単でしょう。
難しそうなところは全て先生がやってくれて、
太郎くんはただ先生が解くのを見ていただけですから。
生徒には簡単に答えられる質問しかしませんから、授業もテンポよく進みます。
とてもわかりやすい授業に見えることでしょう。
太郎くん自身が本当に理解できたかは別の話ですが……。
まぁ、先生にも、授業の進捗とか生徒からの評価とか、そういう大人の事情がありますから仕方がありません。
下手にストレスを感じさせるような授業などしては、生徒から嫌われてしまいます。
とはいえ、勉強では、適度に脳に負荷をかけないと理解も深まりませんし、記憶にも残りません。
なぜ? どうして? と悩んで、実際に自分でやってみて、初めて知識は身につきます。
完璧に話を理解して感動した映画のストーリーを、うまく友達には伝えられなかったことってありませんか?
印象に残るシーンは思い浮かぶのに、そこに至るストーリーは曖昧で……。
純粋に楽しむことが目的の映画や娯楽小説であれば、それでも構わない。
わたしだって小説を書く時には、読者がストレスなくサクサク読み進められるように、意図的に細かい設定を省いたりもしてますから。
でも、勉強でそれは不味いような……。
本当に生徒に理解させるつもりなら、ちょっと自分で考えさせた方がいいんですけどね。
でも、今どきそういう授業は流行らない。
塾だって家庭教師だって所詮はサービス業ですから、生徒に嫌われたらやっていけないわけですよ。
耳に心地よく、わかった気分になれることが最優先。
“良薬口に苦し”なんてことわざもありますけど……。
いくら効く薬だって、不味くて売れないのでは話になりません。
と、このブログを書いていて、ふと思い出したのがピノキオのお話。
遊園地で遊び呆けていたピノキオはロバにされてしまうわけですが……。
そもそもの話、遊園地で自由に遊んでいいって言ったのは連れてきた大人ですよね。
子供たちは大人の許可を得て遊んでいただけ。
中には、ちょっとだけ疑問を持った子供もいたかもしれません。
でも、
『みんな遊んでるし……』
『大人が良いって言ったんだし……』
結果、思考放棄してしまうのもやむを得ない気がします。
『みんな塾に行ってるし……』
『親だって塾に通うのはいいことだって言うし……』
こうして『塾に通っている』を免罪符にして、ロバになってしまう生徒さんもいるかもしれません。
いや、もちろん、塾が悪いって言ってるわけじゃないですよ。
要は、自分で考えることを忘れるなって話です。
先生の話を鵜呑みにせずに、自分の口でしっかりと咀嚼しさえすれば問題ありません。
せっかくの美味しくて食べやすい料理(わかりやすい授業)です。
がっつくのは勿体無いですよ。
あぁ、がっついて変わるのはロバではなくブタでしたかねぇ。

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